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そんなこんなで新しい株主の傘下となってから8年余り経った頃。
その頃の人事部長に呼ばれ、親会社の社員にならないか、との話しを頂いた。その頃の私は実質正社員と同じ勤務時間で働いていたが、制度として「正社員」という区分がなかった為、有期契約者として働いていた。
親会社の正社員になれば今の会社よりも福利厚生が充実するし退職金制度もある。これだけを聞くととても良い話しのように聞こえるが、私はそうは思わなかった。

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「私の事を・・・便利に使おうとしている!」実際この8年の間に、親会社の女性社員が体調不良で出勤出来なくなったり、退職に伴う人員補充がうまくいかなかったりして業務が滞りそうになった時に、毎日元気良く出勤する私は目をつけられて、その業務もやってくれないか?と何度か言われた事があったからだ。しかし、その頃担当している業務で手一杯だったのと、親会社に対して余りいい印象を持っていなかった私はその話しをポジティブに捉える事が出来なかった。

それに一緒にやってきたお店の皆にそれが知られたら、どう思われるだろう。。と。
それから数日間、色々考えてはみたが、結局一度その話しを断った。本当に今まで通りで問題はなかったし、向こうの都合でいいように使われるのもごめんだし、何よりお店の人達との間に、このせいで溝が出来るのが怖かったからである。

だけど、一回断った位では百戦錬磨の経験を持つ人事部長は引き下がりはしなかった。
結局、今から思えばそれってパワハラ?とも思える位の強引なやり口で、私は親会社の正社員となった。子会社のいち平社員に断る権限などなかったのだ。まぁ今から思えばこんな私に声をかけてくれて有難い位の話しだったとは思うが・・・。その代わり、お店に対して人事発令は出さないで欲しいというのが唯一の私の条件であった。(今から思えば、例えその時私が親会社に転籍したという話しをお店の皆が知った所で、きっと皆は受け入れてくれたであろうと思うが)
これが私の三度目の強制転職(転籍)である。

この時期、社内システム関連で相談していたティーネットジャパンのエンジニアの人が人事システム上、私の所属をお知らせし忘れていた為、月末にエラーが出てしまいご迷惑をかけてしまった。
親会社と子会社(3社)で異なるシステムだったため、所属が変わるとデータベース上、まったくの別システムに移す必要があったそう、反省。

それからは、身分は親会社の正社員、業務は従来通りというなんとも微妙な立場で業務をこなすようになった。それでもこのまま時が過ぎればいいのに・・と思っていた矢先、急転直下の事件が再び起きたのである。それは、親会社への吸収合併である。

確かに数年前から何度か繰り返し「そろそろ親会社と合併するのではないか?」という噂を聞いてはいたが、それが特に具体化される事もなく、いつの頃からか私の中では「合併するする詐欺」と名付けられ、胸の引き出しに仕舞われていたのだが、それが急に現実となり、我が身に降りかかってきたのだ。それも正式に統合するまでに半年の猶予期間しかないなんてーー。そんなアホな!

絶対にムリだし(だって人事制度からシステムから何から何まで全て違うんだよ)結局「やっぱりできませんね」で終わるのでは?と一縷の望みを抱いていたけど、あぁこれはやはり夢ではなく、上層部の人達の連日に及ぶ打合わせ無理くりの擦り合わせ協議検討の結果、正式な合併日にギリギリの滑り込みセーフで間に合ってしまったのであった。とは言え、細かい所までは全く決められていないワケで、それを我々いち従業員が、あーでもない、こーしたらどうかと連日三人寄れば文殊の知恵で協議し変更、実行してなんとか毎日の業務をこなしている状況なのである。そういえば結局、旧子会社の従業員も親会社の正社員へと無事移籍したのだが、会社が正式に受け入れたので、有給休暇や雇用保険加入期間は継続してカウントする事となった。私の時は全てノーカウント、イチから新規入社だったのに~~。ま、世の中やっぱりそう何もかも上手くはいかないってことで。

その後、無事(?)に合併したタイミングで私は、なんか燃え尽きてしまい旦那に相談したところ「主婦に転職してみては?}ということで、現在、最後の転職をしたのですが、これが最後になるのかは私次第。

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勤務日数たったの5日間という、最短退社日記録を更新した私は、元アルバイト先の「まだあなたの欠員は補充していないよ」という言葉に「すみません!出戻ってもいいですか?」と図々しくお願いをしてみた所、快く了解を頂き、翌週頭からは又、元の会社にて勤務をする事となった。

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勿論、元アルバイト先の人たちからは「良く戻って来られたね!普通は恥ずかしくて戻れないよ」という半分嫌味の混じったからかいの言葉を頂いたが、こっちには生活がかかっているのでそれどころじゃなく気にもしなかった。
こうして又慣れ親しんだ会社にてアルバイトをする日常が始まったのだが、流石にこの図々しい私でも多少は申し訳けなかったな、受け入れてくれて有難かったな、という気持ちもあり、暫くは転職など考えずに心を入れ替えて、この会社に恩義を返すべく真面目に働く事にした。従来の週4日、実質一日5時間という勤務時間も、週5日のフルタイムへと変えてもらい、ガッツリ働き始めた。

それからの数年間は、会社自体も時代の波に乗り毎週店舗を出店する程の勢いで、毎日バタバタしながらも皆でああでもないこうでもないと言いながら、非常に楽しく充実した日々を過ごした。会社は徐々に大きくなり、従業員数もどんどん増え、最初は社内で行っていた店長会議も数年後には社外に会議室を借りなければ入りきらなくなる位になり、年に数回は店長会議と懇親会が開催され、私達事務所のスタッフもそこに招待して貰い、店長さん達と一緒に飲んでは交流し、徐々に仲良くなっていった。

そんな状態が続いたある日、親会社である前職の会社が、我々の会社から手を引くというニュースが飛び込んできた。これは後から聞いた話しだが、本社から出向で来ていた人達は何とかしてそれを阻止しようとあちこち走り回って色々と手を尽くしてくれたようだったが、所詮上が決めた事に逆らえるはずもなく、それを受け入れざるを得なかったようだ。

私達従業員は、社長からの「親会社がこの会社から撤退するに伴い、我々も出向元の親会社に戻る事となった。」という、断腸の思い溢れる言葉を涙を流しながら聞いた。
これから・・・どうしよう!!
元々、次の仕事が決まるまでの腰掛けのつもりで働き始めた会社であったが、既に入社して7年余りの年月が経つ間に、私はこの会社の事が大好きになっており、自分の生活においてとても重要な位置を占める所まで来ていた事に気が付いた。
そんな大事な会社を、これを機会に又辞めるのか、それとも続けるのか。

この時は非常に悩み考えた。また新しい職場に挑戦するべきか。それとも、だけど、しかし、ならば・・・悩みに悩み私はどうしても、この会社や7年の間に仲良くなったお店の皆と離れ離れになる道を選ぶ事が出来なかった。天塩にかけて皆で一緒に育ててきた会社を、どうして自分から辞める事など出来ようか。それ程会社や一緒にやってきた仲間達の事を大事に思うようになっていたのだった。

その後、合同で出資していた会社が受け皿となり、全株を取得して運営していたが、1年後、私たちが全く与り知らない間に全く別の会社に私達の会社は転売された。
この頃になると「こうなりゃ会社と一蓮托生だ!」という気持ちになり、一緒にやってきた仲間と共に新しい環境の中で更に仕事に邁進するようになっていた。
実際株主が変わっても、ただ入れ替わり立ち替わり数年毎に役員が変わるという事以外は、毎日の業務においては劇的に変化した所もなく、会社の方針は多少変わったけど、このままでいられるならそれでもいい、とさえ思っていた。だけどやはり世の中そんなに甘くはないのだ。そんな出来事がこの後待ち受けていたとは思いもせず。

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いよいよ待ちに待った新しい会社への出勤日。会社は宝石で有名な街の駅から歩いて5分位の場所のビルの中にあった。

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部屋は幾つかに分かれており、入り口から入ってすぐの所にカウンターがあり、カウンター向こうは事務作業等を行うスペース。奥はガラス張りの部屋となっていて、そこで宝石の鑑定・鑑別作業を行っているようであった。
あぁ、早くあの部屋で鑑定作業を行えるようになりたい!
同じタイミングで入社した女性も何人かおり、まずはお互いに自己紹介をする。

初日は、会社の中心となって働いているらしいベテラン風の40代位の女性に会社組織の説明や内部の案内などをして貰い、翌日から実際の業務を行うこととなった。
いよいよ自分が希望し憧れていた仕事に携わる事が出来るんだ・・!
翌日もウキウキした気持ちで会社に出勤したが、まずはこちらの業務からお願いします、という事で、パソコンにて宝石の鑑定・鑑別書を作成する業務を教えて貰った。

パソコンの画面には所定のフォーマットが表示されているので、そこに入力すべき内容を入力し、指定された用紙で印刷をかけていく。最初に私がその仕事を行った所、内容をチェックしてくれた女性が「素晴らしい!ミスが一か所しかないわ。最初からこんなにミスが少ないというのも珍しいのよ!」と、今思えばまずは誉めて持ち上げようという作戦だったのだろうと思うが、その頃の私はまだまだ世間知らずもいい所で、誉められて気分も良くなりその仕事を一生懸命にこなした。何度も繰り返すうちに段々と慣れてきて、次は何かな?と思っていた所に、入り口のドアが開きお客様が入って来られた。そしてその次に言われた言葉が「お客様にお茶出しをお願いします」との指示だった。

勿論,、お茶出しは前職でもアルバイト時代でも行っていたし、今は研修期間でもあり特に不思議にも思わずにその指示に従った。その後も、発送する品物の梱包や伝票書きや様々な雑務を行っていたが、その間もかなりの頻度で来客がありその対応にも追われた。
そんなこんなであっという間に3日が過ぎていったが、最初はお茶出しだけであったが、私たちの指導係の女性より「暫くして慣れてきたら、お客様の応対もして頂きます」という言葉が4日目にあった。そのお客様というのは、宝石や原石の鑑定を依頼しに来る人達で、要はその受付や対応をする担当になる、という話しだった。・・・ってことは、今後は来客対応をするってこと??

一抹の不安が広がり、昼食時に同じ時期に入社した同期の女性に「私達の仕事って宝石の鑑定業務の補助じゃないのかな?確かこの会社の求人募集内容にはそう書いてあったよね?」と話しかけてみた。するとその女性も「私もそうだと思っていたけど。でも最初のうちはしょうがないんじゃないかな。」と。
うーん、確かに今は研修期間ということだろうし、お客様への対応は基本という事で暫くの間はその業務に就くという事なんだろうけど・・・でもなんか違和感が拭えず、怪しいオーラを私のアンテナが雑音を含みながらも受信中。

これは今も変わっていないが、そもそもの性格として曖昧な状態のままでいられない私は、結局そのまま黙っていられず、終業間際に教育係の女性に質問を投げてみた。
「研修期間が終わったら、私達も鑑定業務補助に就けるという事でしょうか?」
すると女性は「いつかタイミングが合えば鑑定業務に就いて頂く事もあるとは思いますが、通常は来客や事務作業をやって頂く事になります。」と。うっそー、話しが違うじゃん!それだったら、今迄アルバイトでやってた業務と同じじゃない。何の為に転職したのさ?そして次の日、私は言ったのであった。「辞めさせて頂きます」と。更にアルバイト先にも電話をした。「私の席、まだあります?」

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そんな非常識な辞め方をした私だったが、会社は黙々と退職手続きを行ってくれて、無事に手元に年金手帳と雇用保険の離職票が送られてきた。

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こんな何も考えていないノーテンキな私でも、一応昔からやってみたいと思っていた職業があり、これを機会にと自分で調べて申し込み、専門学校に通い始めた。
それは「宝石鑑定士」という職業であった。元々妖しい美しさを持つジュエリーが好きで興味があったのだが、同時に黙々と作業をする専門職というものへの憧れもありこの仕事を目指そうと思い立ったのだ。それからは週に1回教室に通い、自宅で勉強しながら雇用保険の給付を受ける日を待っていたそんなある日、不義理をして辞めた前の会社の人事課の知り合いより「今何してるの?ヒマなら仕事手伝わない?」というアルバイトのお誘いがあった。

その人に今現在の自分の状況を説明した所、「次の仕事が決まるまででかまわない」という返答だった為、生活の為にありがたくその事務のアルバイトをさせて貰うこととなった。
その会社は前の会社が新規事業として、もう一社と合同出資にて立ち上げて間もない会社で、私は様々な雑務を週に4回、朝10時から夕方4時までという負担の少ない時間で働かせて貰う事となった。

立ち上げて二年目のその会社は、前職の会社からもプロジェクトチームとして数人が出向して来ており、中には顔を知っている人がいた事もあり雰囲気も良く、すぐに馴染めた。だが出来たばかりというだけあってまだまだ色んな制度や環境が整っておらず、むしろ何もかも自分達で調べて自分達で整備し作りあげていくという、ある意味気楽ではあるが遣り甲斐もあり、私にとってはとても居心地の良い職場となった。

そんな状態で働かせて頂いて一年余りが経った頃、私の専門学校においての授業も大詰めとなり、いよいよ卒業試験を受ける事となった。この試験に受かれば、いよいよ宝石鑑定士の仕事を探し始めなければならなくなる。
実際に一年働いて、私はこのアルバイト先の会社と、一緒に働く人達の事が好きになってきていた。
それでも、いつまでもこの会社にいるワケにも行かないし・・・という事で、一応自分なりに卒業試験に向けて勉強を開始し、その甲斐あってなんとか学校の試験にも合格し、無事に専門学校を卒業する事が出来た。さぁ、次は宝石鑑定会社への就職だ!

それから時間を見つけては宝石鑑定士の求人が出ている会社を探したが、実は宝石鑑定士というのは国家資格ではなく民間の資格であり、それには何種類かの資格がある。世界的に通用する有名な資格を取る為の専門学校の授業料はとても高額で私にはそこまで支払えるはずもなく、就職したいと思う宝石鑑定専門機関から出ている求人は、やはり専門資格と言えるものを有していないと応募も中々難しいのが現状であった。

私の場合は「資格取得」ではなく専門学校の鑑定士コース「修了証」の取得という事なので、それでも応募出来る会社を探していた所、宝石で有名な街にあるとある小さな宝石鑑定所にて「宝石鑑定業務の補助」の求人が出ており、早速応募し面接を受け、なんとか採用結果を頂く事が出来たのだった。

アルバイトで一年余り働いた会社に未練はあったが、自分の希望していた業界に就職出来た喜びは大きく、早々に退職する事を会社に伝えた。とは言え身分はアルバイトだったので特に業務を誰かに引き継ぐ必要もなく気楽なものであった。会社の皆は残念がってくれたものの、希望の会社への就職を喜んでくれ、社長自ら参加し送別会を開いてくれ、送別の品物まで頂き快く送り出してくれた。
皆さま、ありがとうございます!
そして私は希望に胸を膨らませながら、新しい会社への出勤日を待ち望んでいた。

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私の最初の就職は、学生時代に某大手スーパーの本社でアルバイトをした事による所謂コネ入社ってやつである。自分で言うのもナンだが、裏表なくそれなりに真面目に働く私は人事課の社員のお目に留まり、大学4年生になる前の「そろそろ就職活動かぁ」という時期に、社員の方より「良かったらうちの会社に来ない?」という有難いお言葉を頂きそのまま入社したのであった。 

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一般的にコネ入社というと多少なりとも肩身の狭い気持ちになるであろうが、親が社長や役員をやっているワケでなく、他に強固なコネを持つ親戚や知り合いがいるワケでもない私が、自らの仕事ぶりにより企業からスカウトされた、言ってみれば「セルフコネ」、何に恥じる事があろうかとどちらかと言えば堂々とした気持ちで入社式に臨んだ事を覚えている。今思えばかなり図々しいが・・。
 
そんな私の配属先は、アルバイト時代の働きもあり「営業企画課」という中々立派な名称ではあったが、実際は、社長の思い付きをどうにかする何でも屋的な部署で、就職氷河期時代でもなく、仕事に対して明確なビジョンも向上心もないノーテンキな私にとってはただ「結婚するまでの腰掛け」位の気持ちで毎日コピーを取ったり稟議を回したり文書をワープロで作成したりと上司に言われた事のみをやり、周囲の同年代に近い同僚とくだらないおしゃべりをしながらノホホンと働くお気楽OLな毎日であった私は、ぴったりな部署でした。 

そんな調子で数年が過ぎてゆき、時代的には少しづつ景気が悪化している時で、入社時にはまだまだ余裕があった会社も少しずつ人員やコスト削減の方向に進んでいき、本社勤務の社員は、繁忙期にのみ数日「店勤務」に行かなくてはならない制度が、入社2年目にはその期間がなんとお中元・年末年始時期にそれぞれ一か月超えの長期にも及ぶものとなっていった。

元々「接客業」が苦手な私にとって(上司にも言われたがじゃあなんで小売業に?だからコネですよコネ!)慣れないお客様への対応や打っても打っても果てしなく客が並び続けるレジ打ちは苦痛以外何物でもなく、毎回その時期が近付いてくると、長打のお客様が並び必死でレジを打つ私のレジのレシートの紙の色が赤くなり(レシート交換が近いというサイン)懸命に交換するも中々うまくロール紙をセット出来ずにお客様から罵倒される・・という悪夢を見るようになっていた。

そんなこんなでもうすぐ入社丸5年が経とうとしていた年、あぁ今年も12月中旬から1月中旬まで店勤務が始まる、憂鬱だなぁと思っていたまさにその時、私に対して所属長が目を疑う文書が通達されたのです。

それは「お正月1日には初商手当(結構な額だった)が出るので、本社従業員は1日には出社しないように」いうものだった。他社でもあると思うが、小売業では年末年始に出勤する従業員を慰労する意味で給料とは別に手当が出る場合がある。イヤイヤこちとら別にどうしても初商手当が欲しい訳じゃないし、そもそも1日のシフトに入らない場合もあるのに、敢えて「1日には出るな」って・・・ヒド過ぎやしないか?えぇ会社さんよ。
これは、本社社員が1日に店勤務をすると経費がかかるので、経費の掛からない日だけ店勤務してね。テヘペロ的な通達なのだ。

こっちだってお店の人と同様に朝から晩まで腰痛になる程毎日レジ打ち業務に励んでいるのに、同じお正月でも手当の出ない2日3日は出勤して手当の出る1日は休むようにって。不平等だ、酷過ぎるーーー!!

この瞬間に、自分が勤めている会社について、それなりに持っていた愛社精神が一気にガラガラと音を立てて崩れていくのがわかった。こんな会社、辞めてやるーー!!
若く愚かだった私は次の日から店への出勤を無断で休むという暴挙に出、心配して電話してきた上司に向かって謝罪の言葉もなく一方的に「辞めます!」と告げたのであった。。あぁ、非常識って恐ろしい。